発達障害とアタッチメント:normativeという基準線

発達障害とアタッチメントについては、これまでも深く取り上げてはきませんでしたし、ここでもそこまで深入りをした議論をしようとは思っていません。けれども、いくらか考えが整理されてきた気がしますので、書き出してみたいと思います。あくまで覚書のようなもので、これが研究知見をまとめたものだと誤解されないように、最初にそのことを断っておきたいと思います。

1.アタッチメントのプロセス

いつもの話ですが、アタッチメントの流れはこうなっています。

危険な状況に遭遇すると、生物学的な仕組みとしてアタッチメントシステムが活性化します。
それはくっついて安心しようというニードを引き起こします。
これに続いて、もしくはこれと同時にくっつくという行動が生じます。これがアタッチメント行動です。
もしもこの行動に対して、養育者が敏感に応答することができれば、子どもは危険から逃れることができ、安心します。これによってアタッチメントシステムが沈静化します。
これに続いて、探索システムが活性化します。子どもは外界の探索を始めることになります。
もしも子どもが探索において再度危険な状況に遭遇すると、初めに戻ります。

これが繰り返される時、子どもは怖いことがあっても守られるという安心と自信と信頼とを内在化していきます。それが1歳時点で安定型のアタッチメントパターンとして見いだされることになる、養育者との関係のパターンです。

アタッチメント研究では、この流れを標準的なものとして考えています。世界の各地で研究を行うと、このパターンが最も高い頻度で見いだされ、生き物としてのヒトが持って生まれた仕組みが、通常の養育環境の中で発達すると、このようなものになると考えられています。これをnormativeなパターンと呼んでいます。

normalと言っても良いのですが、normalと対立するのはabnormalです。normalでない子どもたちの示すパターンはabnormalか、というのは議論のあるところです。standardと言っても良いのですが、standardは見本や手本としての意味合いを含むことがあります。それに対してnormativeの名詞形はnormですが、これはもう少し規範的な意味合いがあります。従うべき規準になります。とはいえ、倫理的道徳的に、というよりも、おそらく生物学的に「こうなるはず」という意味でnormという言葉が選ばれているのだと思います。私はこれを「規準的」と訳しています。

アタッチメント研究においてnormativeの対義語(と言って良いかどうかは分かりませんが)はindividual differenceです。個人差と言います。生き物として安定型のパターンとなるはず、ということに対して、そこから外れたパターンは個人差であるというふうに考えられます。

通常、個人差とは個人の差を指します(そのままですね)。けれども心理学の中でしばしば使用される個人差は、実際のところ集団の差です。安定型、不安定型、不安定型の中の回避型、アンビバレント型といったものは、パターンの分類であり、グループであると言えます。ある子どもが示す行動の全体像がどのパターンに当てはまるか、ということを考え、そこに個人差があるという訳ですが、それは1人1人の子どもの違いではなく、3ないし4のグループの違いを指しています。

こうした規準的なパターンと個人差は、(今で言う)定型発達の子どもを前提としてこれまで研究されてきました。しかしながら、アタッチメントの初期の研究の研究協力者、あるいは査定の最も基本となるstrange situation法は1歳から2歳の子どもたちです。そのため、この時点では子どもに非定型な発達があるかは明らかではありません。実際のところ、研究に参加した乳児たちは「暗黙のうちに」定型発達の子どもとして想定され、その結果が検証されてきました。その想定には根拠があったわけではなく、非定型発達の可能性が検討されてこなかったのではないか、というのが私の印象です。あるいは、調査時点で診断がつく時には、研究上(少なくとも統計処理の段階で)除外されるということが行われてきました。その意味で、アタッチメント研究の蓄積は定型発達であることを前提にした議論です。

けれども現実的には縦断研究は数多く行われているわけで、その中には1歳時点で研究に参加し、その後の縦断研究の中で発達障害(や知的障害)のあることが明らかになる、という子どもがいてもおかしくはありません。そのデータが蓄積されて、後に発達障害のあることが分かる子どもの1歳時点でのアタッチメントパターンないしはアタッチメント相互作用の特徴というものが抽出されたり、言及されたりしても良さそうなものです。それにも拘わらず、こうした研究は少なく、明確な知見は得られていません。このあたりの事情は分かりかねますが、単純に1つの研究の中ではサンプル数が少ないために統計的な検討ができなかった、ということがあったかもしれません。

そのため未だにアタッチメントのプロセス、その規準的発達と個人差、およびそれらのその後の発達との関連については、暗黙のうちに定型発達の子どもであることを前提として語られています。アタッチメントと発達障害の関連についてはメタ分析なども行われてはいるものの、まだまだパッとしないところがあります。これが私が今までこのことについて深く立ち入らなかった理由です。

同時にこれが、またこの記事を書いている動機でもあります。アタッチメントと発達障害の関連については、何がどうなっていると考えられるのでしょうね。

2.問いを立てる

研究の知見が利用できないのであれば、ある程度経験と理屈でこれに迫り、暫定的な結論を持っておくしかありません。まず、問いを立ててみましょう。

アタッチメントと発達障害の関係はどうなっているのでしょうか。

これについては、いくつかの具体的な問いに分けて考えてみることができます。

発達障害特性とアタッチメントのプロセス
① アタッチメントのプロセスは発達障害のある子どもでも働いているのか(アタッチメントは形成されるのか)
② 上記プロセスの各段階において定型発達を示す子どもとの質的差異はあるのか

発達障害特性によるアタッチメントへの影響
③ 発達障害の特性があることでアタッチメントの質は不安定になりやすいのか

アタッチメントによる発達障害への影響
④ アタッチメントの質(個人差)は、後に発達障害として現れることになるかもしれない潜在的傾向や特性が、実際に障害disorder/disabilityとして出現することに影響するのか

アタッチメントと発達障害の行動問題への影響
⑤ 特定の行動問題の発達に両者はどのように影響しているのか

臨床的には次のような問いかけをされることもしばしばあります。

⑥ 特定の傾向や特徴が不安定なアタッチメントの一部か発達障害特性の一部かをどう区別したら良いか
⑦ 特定の問題がアタッチメントの問題に由来するのか発達障害に由来するのかをどう区別したら良いか

これらはどれも答えることの難しい疑問です。理由は2つあります。1つは、上に書いたようにそもそも研究の数が少なくまだこれといって一定の知見が得られているとは言い難いところがあるためです。もう1つは、後に発達障害を示すことになる子どもが乳児期に示す行動をどう判断すると良いか分からないためです。

後者についてもう少し説明をしていきますが、その前に少ないとはいえ今ある研究知見の蓄積を、簡単に紹介しておきます(番号は上の問いに対応しています)。

③ 発達障害特性があることで(後に発達障害のあることが分かる子どもは)1歳時のアタッチメントが不安定になりやすいとする研究とそうでないとする研究があります。
④ 1歳時のアタッチメントが不安定であると後に特性が障害となりやすいことについての示唆が得られています。
⑤ 一般に前就学期以降の行動問題には、それ以前のアタッチメントの不安定さと発達障害が独立した寄与をしているとされています。

そうは言っても、アタッチメントと発達障害の関係を整理するのは簡単なことではないと私は思っています。非定型発達を示す(ことになる)子どもの乳児期のアタッチメントのアセスメントには課題があるためです。

どういうことか。

その話に戻ります。

3.問いを整理する

たとえば、自閉スペクトラム症の子どもの中には、早い段階から抱っこをされることを好まない子どもがいるということが分かっています。ところで、normativeなアタッチメントの視点では、子どもがびっくりしたり不快になったりすると養育者にくっついて保護を求め、慰めを求めることを想定します。もしもくっつかないとすると、子どもは養育者への接近を回避している(アタッチメントシステムの活性化を抑えている)、と見なされます。回避型のパターンをそこに読み取るわけです。

そうすると、⑥の問いにもつながる疑問が出てきます。「子どもが抱っこをいやがるのは、回避的なパターンというアタッチメントの問題なのか、自閉スペクトラム症の傾向や特性の早期の現れなのか」。あるいは、こういう疑問も考えられます。「後に自閉スペクトラム症を表わすことになる子どもたちは、そもそもくっついて安心するというアタッチメントのプロセスに障害を抱えているのか」。①や②の疑問です。このことは、新たに次のような疑問につながります。「不安定なアタッチメントがあると自閉スペクトラム症を持つリスクが高まるというけれども(④の知見)、そもそもアタッチメントの問題とアセスメントされた行動は自閉スペクトラム症の特徴だったのではないか、つまりアタッチメントは関係ないのではないか」。逆に、こういうことも考えられます。「normativeな基準からすると後に自閉スペクトラム症となる子どもの行動パターンは不安定なアタッチメント、とりわけ非組織型にアセスメントされるかもしれないけれども(③の知見)、その行動パターンはむしろ自閉傾向・特性のある子どもにおけるnormだということはないだろうか(そうだとすると、発達障害特性のある子どもは不安定なアタッチメントになるとかならないという議論は正当な議論ではないのではないか)」。

通常のアタッチメント研究においては、くっつく行動を見せない子どもは不安定型の子どもと分類されます。けれどもそれは、定型発達を前提としつつ、くっつくという行動がnormであることを前提として、これを基準線とした上での査定です。後に自閉スペクトラム症となる子どもたちに、この同じ基準は適用できるのでしょうか(ことはADHDでも同じです)。

言葉を換えるとこうなります。

アタッチメント研究では、定型発達であることを前提に、行動のパターンからアタッチメントの状態を推測して分類をしています。行動的にくっつかなければ、内的に回避的なアタッチメントが存在している、とアセスメントされるわけです。けれども、この行動とアタッチメントの状態との対応は、非定型発達の子どもにおいても適用可能なのでしょうか。

このことが解決しなければ、アタッチメントと発達障害の関連を確かめることはとても困難になります。

アタッチメントのものさしを当てはめてパターンを分類することはできます。でもそのものさしは適切なものなのでしょうか、ということですね。

結局問いは、①と②に焦点化されます。これが解決しないことには、実証研究の知見を本質的に評価できないことになります(もちろん研究上、normativeなものさしを当てはめた時に何が言えるかという議論も大事なのですが)。

引き続き、自閉スペクトラム症の特性の例で考えてみます。

回避型のパターンが、くっつかないにもかかわらずそれでもアタッチメント(くっつくこと)の枠組みで捉えられるのは、「これが安心を求める方略であるといえるから」です。normativeにはくっついて安心するところ、子どもは何らかの理由でくっつかない方がまだ養育者のそばにいられる、保護してもらえる、見捨てられない、ということを学んでいるために、回避的なパターンを取るのです。その結果、くっつくことが不快にもなっています。持って回った言い方をすると、回避的な行動によって最低限の、もしくは最大限のくっついた状態を維持している、ということになります。

頼ろうとすると恋人に嫌われるので、何も問題はないふりをしている人、のようなものです。活性化している内的な状態と現実とに齟齬があるために、不適応な状態です。

この時、くっつかないことは、二次的な安心を得るための方略です(一次的な安心は、当然、くっついて安心するというnormativeなものです)。

それでは、自閉スペクトラム症の子どもが抱かれることを嫌がるのは、二次的な安心感が脅かされるためなのでしょうか? むしろ、一次的な安心感への脅かしではないでしょうか? そもそも、自閉スペクトラム症の特性のある子どもには、危機的な状況に遭遇してくっついて安心しようとする動機づけが高まるのでしょうか? 高まるとしてそれは身体的にくっつくというものなのでしょうか? 身体的にくっつかないことは回避型の子どものように拒否されるという予測を前提にしていると考えられるのでしょうか? むしろ、身体的にくっつくことよりも感覚的な保護膜となることを求めるという形で他者を求め、そうした他者への結びつきを形成するということはないのでしょうか? そうであるとすると、くっつかないという行動をもってアタッチメントの問題とすることができるのでしょうか?

normativeな観点からすれば不安定なアタッチメントに分類される行動パターンを、同じような枠組みで発達障害のある乳児において解釈できるのか、という問題があり、そのことは逆に、発達障害の特性のあるある乳児が危機的状況において安心を求めるやり方はどのようなものなのか、という問いにつながります。もしもそのやり方が、アタッチメント理論が大前提としておくように、他者を求めるというものであるとすると(①)、こうした乳児におけるアタッチメントのプロセスはどのようなものなのか(②)、という問いが、他の問いに答える前提になる、ということです。

余談ではありますが、このnormativeな基準線を当てはめることができるかどうか、表に現れている行動を本質的な安心を求めることからの変異として、逸脱ではあるものの二次的な安心を求めている、と見なすことができる時に、これをアタッチメントの問題の現れと言うこともできるだろうと思います(⑥の疑問)。ここが、アタッチメントの問題と発達障害特性の現れとの分水嶺になる、というわけです。

話を戻しますが、アタッチメントと発達障害の関連を考えるためには、発達障害のある乳児や子どもにとって、アタッチメントのプロセスはどのようなものなのか、それは定型発達の子どもと同一のものなのか、それとも、非定型発達の子ども、あるいは少なくとも自閉スペクトラム症のある子どもとADHDのある子どもとにさらに分けてnormを定める必要のあるものなのか、ということが整理される必要があります。

アタッチメント研究はnormativeという基準線について再考する必要があるのではないか。それが私の問題意識です。

このことは、養育者の敏感性を考える上でも、その支援を考える上でも重要だと私は思っています。。

問いを整理するだけで長くなってしまいましたので、その続きは本当に仮説的なものですが、また次にまとめてみたいと思います。

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