誰がそれを甘えと呼ぶのか

(この記事はnoteの転記です。タイムスタンプは2020/10/13 09:42です。)

今年『支援のための臨床的アタッチメント論』という本を出したのですが、この本の中で周りから評価されているのは、実はアタッチメントの議論そのものではなくて、第12章の「甘えとアタッチメント」であったりしました。

https://www.minervashobo.co.jp/book/b375718.html

この本を書くことはいろいろな意味で私にとって大きな意味のある作業だったのですが、「甘えとアタッチメント」というタイトルそのままに、この2つの概念を整理できたこともその1つです。それ以上に、甘えという言葉、ないしは概念にずっとついた回っていたある種の不可解さについて、自分なりの解を示せたことが意味のあることでした。それが他の人にとっても面白いものであったのなら、嬉しいことです。

甘えについては何を読んでも今一つしっくり来ないところがあって、何とも捉えにくい概念だなという思いがありました。いったい何を不十分に思っているのだろうと、ずいぶん長いこと考えていました(だいたいこういうことを考え始めるのは大学院生の頃なので、かれこれ……それなりの時間になっています)。

この本の中で私が描いた甘えは、土居が思い描いたようなリビドーと並ぶ基本的な欲求のようなものではなく、むしろ文化的に構成された、ある欲求の一形態としてのそれでした。私にとって甘えは基本的な情動というよりも、むしろ文化的な生成物です。

その基盤にあるのは、「人に迷惑をかけてはいけない」という規範だと思っています。甘えはこの文化的現実原則を一時的に解除するのです。

私たちの文化において、欲求の率直な表現は制約をかけられます。「欲求」に含まれる「欲」の字は醜く、浅ましい印象を与えます。欲求すること、主張すること、「私」を持つこと、それらはどれも忌避されます。甘えとはこうした制約のもとで、特別に許された願望の、あるいはその充足の形なのだと思うのです。

そのため、甘えにはいつも、「本当はいけないんだけど」という後ろめたさがついて回ります。本当はいけないんだけど「特別に」許される。そのために甘える関係には、いつも内密で、秘密めいた恥ずかしさがともないます。

こうした議論を土居の『甘えの構造』の始まりにある、「遠慮」のエピソードにもとづいて行ないました。

甘えとは遠慮の奨励される文化の中で、おずおずと差し出される欲求なのです。

この議論の中で、江戸時代の遠慮刑というちょっと変わった刑罰を取り上げました。『御成敗式目』にある刑罰なのですが、この遠慮刑についての情報はとても少なく、自信のないままに取り上げた経緯がありました。たまたま知り合った江戸時代の文学を専門とする研究者にこのことを尋ねたところ、昔の文書ではみんなが知っていることはわざわざ記録に残さないんですよ、という答えをもらいました。特別珍しいわけではないこの刑罰について、その内容や適用をわざわざ式目の中に書くこともなかったし、それを説明する必要性もなかったみたいなのですね。

遠慮刑は、自由刑の一種であり、自宅に監禁されるという刑罰です(どのような罪に対して課される刑罰であるかはよく分かりません)。家の玄関は封鎖され、外に出ることが禁じられます。なぜこれが遠慮刑という名前であるのかは分かりませんが、その名前から推測するに、自ら慮って自宅にこもることを刑罰として求められる、強制された自粛の趣があるように思います。

もともと遠慮という言葉は、遠い未来について思慮することを指していましたが、思慮した結果「控える」ことになるあたり、私たちの文化のありようをよく示しているような気がします。

その遠慮刑ですが、実のところ表玄関は封鎖されても、勝手口や裏口は封鎖を免れるという、ちょっとびっくりする設定がありました。そして、夜間、人目に付かないようにこっそりと外に出ることは見逃されていたのです。

つまり、表から出て行くことは禁止されるけれども(もしくは遠慮することになるけれども)、裏からこっそり出て行く分にはお目こぼしがあるわけです。この構造が私には甘えの構造に重なって思えます。表立って欲求することは禁止されるけれども(もしくは遠慮することになるけれども)、相手が汲むことを期待して裏からこっそり出すことは良いわけです。「本当はいけないんだけど」「特別に」。
甘えとは遠慮に拘束された欲求の姿であるように思えます。

そのようなことを書きながら、頭の片隅にずっと残って、未解決なままであったことが1つありました。最近そのことがようやく形を成してきたので、ここに書いてみたいと思います。

それは、この遠慮刑が名誉刑であるということでした。つまり、この刑は、地位の高い武士などに適用されるものだったのです。同じような自由刑が他にもあるものの、より身分の低い人に課される場合にはこうした裏口はありません。禁固はちゃんと禁固なのです。

これがどういうことなのだろう、というのが、執筆時の悩みでした。

甘えに含まれる子どもの大人への欲求という要素と、名誉刑という地位の高い者に与えられる構造とが、うまく一致しなかったのです。甘えは誰のものなのか。名誉刑であることを考慮すれば、それは限られた人たちのものになってしまいます。

けれども、今はこう思います。

ああ、そうなのか、実のところ甘えているのは身分の高い人たちなのだ。確かに甘えは限られた人のものなのだ。

もともと甘えという言葉は子どもの親へのある種の情動的経験を指すものではありませんでした。そうではなくて、大人同士の男女の、甘美な、恥ずかしい経験を指すものであったのです。それは他では許されないことを知りながら、特別に許される一体的、性愛的、あるいは自己愛的関係を持つことに関わっていました。甘えとは地位の低い子どものものではなく、むしろ「特別に」が許される、大人のものだったのです。

それは地位の高い人たちの経験なのです。

心理学には、子どもが甘えを素直に出せる時期があり、それが禁止されてより複雑な甘えになるという発達論があったりもします。私の理解はむしろ逆です。子どもが欲求を素直に出していた時代があり、それが禁止されて裏口が設けられる規範が現われ、その後で「事後的に」、子どもの「それ」が「甘え」と呼ばれるようになったのではないでしょうか。甘えという言葉の使われ方の発展は、この方向で理解されるものではないでしょうか。

ここにある種の歪曲があります。欲求の表出が事後的に「本当はいけないこと」にされるのです。そして「特別に」許されるようになるのです。

幼い子どもは自分が甘えていると言うでしょうか?

もちろん言いません。

誰がそれを甘えと呼ぶのでしょうか?

甘えとは、実のところ他者によって名指される愛情や欲求の姿であり、そこにはいつも「評価」と「許可」がついて回ります。子どもの甘えをほほ笑ましく思っている時に、幼い子どもも本当はいけないことを分かっていることを大人たちは暗黙裏に仮定しています。でも子どもは本当に分かっているのでしょうか。大人が子どもをほほ笑ましく思っている時に、どこかでその欲求は「本当は」差し控えられるべきものであるという、遠くを慮ることの強制と矯正が存しています。

甘えには本来的に否定的な評価が含まれています。これを生来的な良いものとして取り上げるあり方は、ここから一周回った、複雑な認識なのではないか、と私は思います。

けれどもこの否定的な評価は、行為そのものに内在しているものではありません。情動や経験の質が否定されるべき要素を持っているわけではないのです。むしろどこかにこれを「甘え」と呼ぶ人がいるのです。

甘えは地位の高い者から名指されます。

大人の経験であったものが、子どもの親などへの態度として扱われるようになったのが、いつごろなのかは分かりません。夏目漱石の頃にはまだ甘えは大人の男女のものでした。

「甘えとアタッチメント」の中で議論したのは、甘えの国でアタッチメントという言葉を用いることは、この拘束された欲求をニードとして拾い出す意味があるということでした。

ここに甘えをめぐる奇妙な歪みがあります。遠慮刑において、裏口からこっそり外に出る武士達は、それは特別に許されたこととして不問に付されます。これが甘えと呼ばれることはないのです。それとは対照的に、身分の低い人たちは、こっそり表に出れば責めを受けるでしょう。裏口の解放を求めれば、その欲深さに不謹慎の謗りを免れません。今なら、甘えだと非難をされることになるでしょう。

甘えという現象には、このような歪みが存在しています。本当に甘えている人たちは甘えと指摘されることはなく、甘えることの許されない人たちこそ甘えていると言われるのです。

たとえばこういうことです。

生活保護費の不正受給? 甘えているのは電通や吉本興業ではないですか。

日本学術会議の既得権益? 自民党こそ既得権者ではないですか。

どこかで誰かが甘えの謗りを受けている時、私たちはこう問い直さなければなりません。

「誰がそれを甘えと呼ぶのか?」

本当に甘えている人たちは、そのように名指されてはいないのです。

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