(この記事はnoteの転記です。タイムスタンプは2019/10/08 22:03です。)
つい先日、入国管理センターでハンストをしていた男性が死亡するという事件がありました。同じことが国内の刑務所で生じたら、大きな問題になり、所長以下職員は1年間は大変な思いをするでしょう。以前、広島刑務所で働いていた時、ニュースにもなった収容者の逃亡事件があり、所内には今でも当時を忍ばせる警句が掲げられています。
入国管理センターの人権上の問題はつとに指摘されてきました。トランプ大統領がアメリカで不法入国者を収容し、親と子どもを引き離すようなおよそ先進国とはいえない非道な処遇をしていますが、入国管理センターに収容される人の中には幼い子どもを抱えている人もいることを考えれば、これもまた先進国として恥ずべき処遇です(日本がもはや先進国といえるかどうかは議論のあるところでしょう)。法務省でこの仕事にかかわっている知人もいますが、中からは声を上げにくいでしょうから、外からこの問題を指摘しつづけなければならないのだと思います。
もちろん私はこの問題の専門家ではありません。けれども、少し前に犯罪者としての父親の養育ということについて調べ、その時に父親が収監されることの子どもへの影響について、ある程度まとまって調べましたので、そのことを1つの参照枠として、ここに示したいと思います。
アタッチメントの観点から親の収監と子どもへの影響を扱った論文はいくつかありますが、以下のものが包括的で、何か1つ読むとしたら、これがいいだろうと思います。
Murray, J., & Murray, L. (2010). Parental incarceration, attachment and child psychopathology. Attachment and Human Development, 12, 289-309.
1.全体像
しばしば子どもの主要な養育者は母親です。そのため、母親の収監の方が子どもへの影響は大きくなりますが、ここには次のような事情も加わります。母親の収監は単に主要な養育者との分離となるだけではなく、しばしば父親が養育にかかわらないために、祖父母宅、ないしは里親委託、施設入所に至ることになります。そのため、(1)主要な養育者との分離、(2)家庭からの移住、(3)それにともなう親しんだ環境の喪失、(4)新しい環境への適応、(5)父親との同居であっても養育の放棄、といった問題を抱えることになります。他方、父親の収監は、(1)父親との分離、(2)収入減による経済的困窮、(3)母親の不安定化、といった問題を抱えることになります。
親が犯罪を行なって収監されるということは、それだけでも家庭の環境が好ましいものではなかったことを想像させますが、しかし、こうして親との強制的な分離が生じることは、子どもに攻撃的な行動の増加、不安や抑うつの増加といった問題をもたらします。それは、親が入院をした、離婚をした、などの形で分離を経験した場合に比べても子どもに大きな影響を与えることが、地域サンプルによる長期縦断研究から明らかになっています。
海外では、こうした問題のより詳細な点が明らかにされています。親が収監されることの流れに沿って記述してみたいと思います(ここからは主に父親の収監になります)。
2.逮捕
初めに、逮捕の問題があります。父親の逮捕を子どもが目撃すること、とりわけその際に暴力的な形で逮捕が行われることは、子どもに外傷的な傷つきを残します。目の前に国家権力によって父親が連れ去られることは、権威への敵意を増加させることになるかもしれません。ある調査では、子どもを連れ去るパトカーを追いかけて泣き叫んだ子どもの姿が記録されています。
3.裁判
日本でいうところの拘置所に収監され、裁判を待つ間、母親も子どももこれからどうなるか分からない不確かさに晒されます。家庭の雰囲気も重苦しいものになり、生活の困窮も見られるようになるかもしれません。拘置所が近くにあればいいでしょうが、遠くにある場合、面会に行くまでの費用がかかるために、こうした家庭の社会経済的地位を考えれば、面会にもいけない家庭も少なくはないでしょう。警察、そして裁判への不信感が子どもにつのることが考えられます。これは当然、その後の反社会性の布石となるでしょう。そもそも逮捕、収監について子どもが知らされるかも分かりません。知らされれば、父親が犯罪をしたということそのものが子どもに傷つきを与え、知らされなければなぜ父親がいなくなったのか分からないまま父親を失うことになります。どちらにしても幼い子どもに耐えられる経験ではありません。ある調査では、本当のことを教える母親と、嘘をつく母親、何も話さない母親はそれぞれ1/3ずつだったそうです。アタッチメントの観点からは、分離や喪失において何が起きたかを子どもは知らされた方が良く、そのことがケアされる必要があると言えます。どちらもを残された母親、ないしは周囲の大人がうまくやれるかどうかは分かりません。
4.刑務所入所
実刑判決が下され、刑務所に収容されることになれば、さらに子どもにとっての負荷は大きくなります。1つめは、経済的な問題です。2つめは、ここで母親の中には離婚を考える人も出てきます。父親と会わないままに、何が起きたか分からないままに、本当に父親を失うことになりかねません。東北の震災で注目されたように、曖昧な喪失は区切りがつけられないだけに、それ自体大きな苦しみを残します。3つめは、距離の問題です。刑務所への収監は元の居住地を参考に行われるわけではありません。遠くに収容されることになれば、ますます面会が困難になるでしょう。手紙、電話、面会といった手段で子どもと父親は接触を図れますが、手紙を書くお金、コレクトコールをするお金を持たない家庭の問題もあります。接触に関しては、これを行なった方がいいという研究と、その逆の結果を示す研究とが混在しています。当然ながら父親の対応も関わってくるでしょう。4つめに、これと関連して、面会の傷つきがあります。犯罪者としての父親に出会うことそのものが子どもにとって耐えがたいことでしょう。それと同時に、刑務所の環境が子どもにとって望ましくないものであることがあります。絨毯が敷いてあって、おもちゃが置いてあり、家族が自由に遊べる、デパートの一角のキッズスペースが刑務所の中にあることが想像できるでしょうか。刑務官は子どもに優しくないでしょう。他の収容者の目にも晒されます。子どものアタッチメントシステムが活性化する時に、同行している母親や他の大人はそれに気付くでしょうか。それをうまく安心させられるでしょうか。父親にそのような敏感さがあるでしょうか。海外には実際にそのような親子の面会を可能にしている刑務所も存在しています。面会前に専門家が子どもに何が起きるかを説明し、面会に同行する体制を取っているところもあります。そのどれもが、子どもに必要なことなのです。
5.刑務所出所
出所後は、家族の再統合が課題になります。別々に過ごした年月が、それぞれのすれ違いを生み出しています。母親は再婚しているかもしれません。その場合、父親が子どもと会うことを歓迎するでしょうか。父親は子どもの養育に責任を持とうとするでしょうか。子どもは父親に会いたいと言えるでしょうか。父親と会うことが子どもに安心を与えるでしょうか。誰がこの難しい過程を支えるのでしょうか。犯罪者の立ち直りに関わる人は誰も、家族の重要性を認識しています。でも、司法、矯正、保護の誰が、この家族の再統合を守るのでしょうか。誰もいません。父親と母親が離別するとしても、子どものケアは家庭に任されたままです。幸運にも再統合が果たされたとしても、周囲の目を気にしてどこかに引っ越すかもしれません。そうして子どもは慣れ親しんだ環境を失うことになります。
6.その他
父親の逮捕、収監が周囲に分かれば、それによっていじめられるかもしれません。子どもが恥を感じて対人関係から退くかもしれません。どうして、と母親や周囲の大人に尋ねられないまま、答えのない問いを心の中にしまい込んでいるかもしれません。
子どもは、父親が収監されることを通して、ずっと剥奪された状態におかれ、ずっと危機に晒された状態に置かれています。それが親の収監をめぐって子どもが抱える問題です。
ひるがえって、入国管理センターに親が収監されることを考えてみれば、およそこれと類似した傷つきを子どもに与えているでしょう。刑務所の中の方がまだ人権に配慮した取り扱いがなされています。国外に追放になれば、親からの強制された分離を経験するだけではなく、帰国した国において親が死ぬかもしれない恐怖を子どもに経験させることになります。子どもを含めて国外に追放することになれば、分離、喪失、死の恐怖に子どもを放り込むことになります。
何度でも繰り返しますが、子どもは私たちの未来です。親が犯罪者であろうとも、入国と滞在の違法性があろうとも、子どもをその犠牲にするべきではありません。このことがケアされないのであれば、日本は子どもへの罪を犯していることになります。
入国管理センターは収容者への非人道的な取り扱いをやめ、子どもとの安全で安心感のある面会の環境を整えるべきです。親の収監を子どもが理解できるような支援の手立ても求められます。それは入国と滞在の違法性を問うこととは別の問題であり、それらは両立しうるのではないでしょうか。
私たちが先進国を自負するのであれば、「それはとても難しい問題だよね」と渋い顔をしながら不作為を繰り返すことを、いい加減にやめるべきだと私は思います。