ACEとアタッチメント

(この記事はnoteの転記です。タイムスタンプは2019/08/24 23:19です。)

来週の犯罪心理学会ではACEとアタッチメントについて話をする予定です。すでに配布資料は作っているのですが、両者の関連について簡単にまとめておきたいと思います。

ACEとは幼少期の逆境的経験(Adversed Childhood Experience)のことを指しますが、発端はFelittiらが1998年に出版した論文だろうと思います。心理的虐待、身体的虐待、性的虐待、養育者の薬物使用、精神疾患、母親への暴力、家族の犯罪行為のうち、幼少期に経験した数が多いほどその後の健康行動や疾患のリスクが高まり、7カテゴリーのうち4カテゴリー以上の人は、心臓疾患、ガン、心臓発作、気管支援や肺気腫、糖尿病について0カテゴリーの人とのオッズ比が1.6-3.9、アルコールの問題、薬物使用、うつ、自殺企図では4.6-12.2にもなるといった結果が得られています。これはもともと回顧的な研究であるため、漸進的にはどのように影響が示されるのか、またこの関連はどのようなメカニズムで生じるのか、といったことが明らかになっていたわけではありませんが、この論文によって人生の早期の逆境的経験が成人になってからの身体的精神的健康に影響することが示唆されたわけです。

それからACE研究と呼ばれるものが広く知られるようになるのに20年ほどかかりましたが、これに限らず幼少期の逆境的な経験や環境がその後の発達に否定的な影響を与えることは散発的に知られていました。アタッチメントで言えば、不適応性を示す非組織状態(disorganized)のアタッチメントパターンの増加を指標として、次のようなリスク因子が報告されています(van IJzendoornやCyrのメタ分析)。

一般サンプル → 15%
社会経済的地位が低い → 25%
養育者に薬物やアルコールの問題 → 43%
不適切な養育の問題 → 48%
低収入、物質乱用、未成年での出産、人種的マイノリティ、低教育、ひとり親といったリスクのうち5つ以上 → 不適切養育群と同程度

また、行為障害を研究していたDeKlyenは、そのリスク因子として多動性などの子どもの気質的要因、厳しいしつけなどの親の育児、貧困などの家庭環境、子の不安定なアタッチメントなどを見いだしていました。ACE研究における逆境的経験は統計的に取り出されたものだと聞いたことがありますが、そうであってもそうでなくとも、より広い範囲の逆境に数えられる経験が不安定な、特に非組織状態のアタッチメントを形成し、またこれらの相互作用の中で子どもの行動問題が発達し、さらにこれと重なるリスク因子のもとで精神病理や非行・犯罪がもたらされることを概観してみることができます。

いまはひとまずACEに絞って話をしますが、ACEとアタッチメントはこのように、
 1)ACEによって不安定なアタッチメントが形成される
 2)両者は相互に関連しながら後の不適応状態を生み出す
という関係にあります。また、
 3)アタッチメントが不安定であることでACEの否定的影響を媒介する
  (安定したアタッチメントはACEへの保護因子となる)
ということも言えます。大ざっぱに言えば、「不適応状態の発達において両者はお互いに関連しあっている」とまとめられるわけです。

ACEとアタッチメントの関連はそのようなものです。しかし、これをさらにメカニズムの話として続けると、アタッチメントに注目することが重要な意味を持つことが分かります。というのは、ここにニードがあるからです。ACEのもたらす逆境性は、このニードによって、生きた子どもの姿を取ります。

アタッチメントの視点を取ることについては前回述べました。アタッチメントの理解の仕方は他にもさまざまな角度から行なえますが、今回はさらに「適応」の話を加えてみたいと思います。

子どもが危機的状態におかれ、不安や葛藤、苦痛を経験している時に、養育者が敏感な応答が出来ることが、アタッチメントを安定的(secure)なものにします。このことは養育者が子どものシグナルに応答的であることを意味します。これを「養育者が子どもに適応している」と言うことは可能でしょう。これに対して、不安定なアタッチメントというものは、養育者の応答性が低いところで生じます。幼い子どもは例え養育者の応答性が低くとも、時に虐待的であっても、その環境で生きのびなければなりません。そのために、自分のニードに応えない養育者に合わせて発達します。したがって、「子どもが養育者に適応している」ことになります。アタッチメントの安定性−不安定性とは、このように誰が適応するのか、ということについて、異なる方向性を想定する概念なのです。非組織状態とは、当然のことながら、この養育者への子どもの適応が困難すぎてうまくいかなくなった状態を指しています。

さて、こうして養育者に適応して子どもが生きのびるということは、それだけ子どもは自発的な、本来のニードを置き去りにして生きている、ということになるわけです。これがACEにおいて生じていることです。この時の恐れとニードが分かると、私たちは子どもを理解することができます。

たとえば養育者が薬物を使用していれば、薬物使用のあいだ養育者はどこかに行っていて、子どもは置き去りにされているかもしれません。恐さや寂しさが募ってもそのままこれに耐えなければいけません。戻ってきた養育者が不在の時間をカバーするような応答性を発揮する望みも薄いでしょう。また不意にどこかにいってしまうかもしれません。そのため自分自身の状態を知るよりも養育者が何をしているかにアンテナを張ることになるでしょう。目の前で薬物使用があれば、物理的に存在している養育者が心理的には存在していない恐怖を経験するかもしれません。奇異な行動が見られるとするとそれは幼い子どもにどれだけの恐怖を刻むでしょう。養育者が怪しい仲間と一緒に居るのをみれば、養育者を失う恐さ、養育者が危ない世界に所属している戸惑い、などを経験するでしょう。その環境を子どもは親に気遣い、親に合わせて生き抜いていくことになります。そのことへの強い不信、怒り、敵意が根づくかもしれません。

結果的に、自分の身体的、心理的状態への気付きが薄くなるかもしれません。他者の気分の変化に過敏になるかもしれません。自分を大事にするという感覚が分からないかもしれません。世界はいつも信頼できないものであるかもしれません。情動の高まりを抑えるやり方を知らないために行動が秩序立たないかもしれません。物質使用、性の使用、SNSの使用、暴走行為など高まる情動の不快さを取り除く不適切なやり方が提示されれば、それを使ってしまうかもしれません。こうして、阻害された生きることのニードの先に、不安やうつ、非行行為や逸脱行為などの行動上の問題が生まれます。

統計的にACEもアタッチメント不安定さも適応状態のリスク因子です。しかし、これがアタッチメントを不安定にするという視点を取ることで、私たちは逆境的環境に適応することの苦悩を抱えた一人の子どもを目にすることができます。このためにニードは重要なのです。ACEとアタッチメントの関係は、このように整理して臨床現場に用いることができそうです。当然支援はこの延長線上にあって、たとえその対象が成人であっても、心の中に潜む子どもの心に、私たちは手を伸ばそうとしています。

そんな話を学会ではしてみたいと思います。

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