犯罪心理学会雑感

(この記事はnoteの転記です。タイムスタンプは2019/09/01 22:35です。)

今年度の犯罪心理学会大会が終わりました。ミニシンポジウムはおかげさまで盛況で、初めて立ち見を経験しました。私がいたから、というわけではなく、今の司法矯正領域のテーマは虐待になりつつあるかもしれない、ということを感じる経験でした。逆に、ひところの発達障害ブームは通り過ぎたような感じがします(もちろん事例としては存在していますが)。

少年事件も成人の犯罪者もこのところずっと右下がりに減少しています。施設に収容される少年や成人の数も少なく、新設や増設の行われた矯正施設も統廃合されるところが出てきています。このトレンドはもうしばらく続くでしょう。社会から犯罪がなくならないとしても、その数は減らすことができるのです。考えるべきことは、どこまで数は減るのか、そしてこれまで犯罪で問題を表現していた一群は今現在どのように問題を表現しているのか、ということかもしれません。

数年前に広島で少年による殺人事件がありました。事件にかかわった少年たちは未成年者だけで生活保護を受給し、暮らしていました。格差の広がる社会、経済的な停滞、増加する虐待(通告が増えているということでもあるでしょう)、情報通信機器の発展、暴力団の解体、大人の世界での暴力抑制の規範といった影響もあるのでしょうが、事件を起こす子どもたちが普段は社会から見えないところにいることを思わせるものでもありました。これからしばらく、目に見えない非行少年が増えてくるのかもしれない、とその当時思いました。

このことと符合するように、矯正は社会に目を向けています。少年鑑別所では地域援助として、これまでの身柄付き監護措置の子どもを対象とした鑑別だけではなく、地域の子ども、親、教師などからの相談を受ける事業を始めています。有効に使われている地域もあれば、まだあまり知られていないところもあるようですが、これまで施設の中で行われていた矯正が社会の中の支援に関わり始めています。

刑務所では特別改善指導のその先を見据えて、地域の中での展開が議論になっています。私は民間の病院や相談所を利用すべきだと思っていますが、今はまだその段階にありません(斡旋になるようなことを恐れているのだと思います)。けれども遅かれ早かれそうせざるを得ないでしょう。「矯正」の枠組みで対応できるのは、保護観察までであり、そこから先の自由を拘束しない立ち直りには、自由意思での来談に委ねる他ないからです。すべての出所・退院者のニーズに応えるものを公的機関だけでは用意できません。

家庭裁判所は少年事件の減少と呼応するように、家事事件、もしくは家事調停に追われるようになっています。これまで少年たちが引き受けていた家族の問題を(その当時は問題とも思われていなかったかもしれません)、親が引き受けるようになっているようにも思えます。子どもに見られる行動上の問題ではなく、親に見られる関係性の問題に司法が取り組むようになっているわけです。児相での虐待対応の困難さが問題になっている現状、家裁の調査権限を増大させることで対応するという議論が生まれてくるかもしれません。そうなればなおさら、司法は親の問題に取り組むようになるでしょう。

今年度の犯罪心理学会で見られた虐待への関心の高さは、こうした流れと連動しているように思えます。事件の枠組みの中で、問題を生じさせた個人に対し、特定機関の中で、行なわれていた介入を、社会に開かれた場所で関係性の問題として取り扱っていくように変化しつつあるのだと思います。

夏の熱気が冷めて、夜風が心地よい気候になって、ひとつの季節が次の季節にその座を譲ろうとしています。人が変わり、街が移ろうように、同じ場所から見える風景も変わっていくのでしょう。次にやって来る季節がどのような季節か、誰かに分かるわけではありません。それでも1つの季節が終わり、次の季節がやって来るのであれば、衣替えの準備をしながら、新しい風を待つのでしょう。

くしゅん。

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