イギリスの司法心理療法事情

(この記事はnoteの転記です。タイムスタンプは2019/07/29 00:51です。)

久しぶりにロンドンを訪れてきました。国際精神分析学会の開催に合わせて出かけたわけですが、もう1つの目的はロンドン近郊の司法心理療法を提供している人たちを訪ねていくことでした。まだ情報をうまく整理できていないのですが、メモを兼ねて記しておきます。

犯罪者を社会がどのように扱うかは今でも長い議論のさ中にあります。おおまかな流れとして、現代の矯正保護は教会などのチャリティー団体、福祉士などを中心としたケアの時代があって、1970年代のアメリカにおいて矯正システムは機能していない(Nothing Works)と評される時代がありました。90年代に入ってようやく各国において現代的な司法矯正保護の知見と実践が蓄積され、犯罪者は回復しうるという認識が持たれるようになっています。

他方、イギリスでは20世紀の初頭からこうした犯罪の問題を抱えた人たちを病者(患者)として扱うという流れがありました。それが主流であったというわけではありませんが、精神分析が一定程度力を持っている土地において、精神分析家たちの中にそのように主張する人たちがいたのです。その流れは今にも続き、ロンドンの精神分析的心理療法家によって1991年に国際司法心理療法学会(IAFP: International Association for Forensic Psychotherapy)が作られました。今回訪問したのはその学会の中心的な人たちです。

ちなみに、司法心理療法という言葉は、非行や犯罪の問題を抱えた人に対する精神分析的な心理療法を指しています。これとは別に司法精神医学という言葉もあって、こちらは必ずしも精神分析的な精神医学(いわゆる力動的精神医学)を指すわけではないようです(というようなことも今回知ったことの1つです)。

学んできたことの1つは、イギリスにおいても司法心理療法は決して多くの臨床家が取り組んでいるものではないということ、精神分析的なものに限らず犯罪の問題を抱えた人たちへの心理療法自体がそれほど広く行き渡っていないということ、したがって司法心理療法家は一部の特別な施設をのぞけば個人的な努力でその実践を行なっていること、むしろ一般医(General Practitioner)の段階で犯罪の問題を抱えた精神病患者を捉え、初期治療を行なうことに力が注がれているらしいこと、他方、司法精神医学は精神医学における主要な専門性の1つとして認められているということ、司法心理療法に限らず精神分析的なアプローチを広める努力は司法精神医学へのコンサルテーションを通して行われていること、などでした。

もともとイギリスを訪問しようと思ったのは、そこでは司法心理療法の専門的なトレーニングが行われているからでした。日本では、医療観察法ができて犯罪を行なった精神疾患(主に統合失調症)のある患者を精神病院の1病棟で治療しているわけですが、そこで働く人たちからはどのような専門的なトレーニングも受けているとは聞いていません。心理療法に限らず、精神医学的なケアとしても、司法精神医学的なケアは確立されていないのでしょう。同様に、刑務所の中で、あるいは外来の形態で、処遇や治療や教育が行なわれていますが、そこでも専門的なトレーニングと呼べるものはそれほど行われていないように思います。

それに対し、司法心理療法家たちはどのような専門性を身につけているのか、ということに興味が向くわけですが、それはある程度文献から見当をつけることができました。むしろ、そのような専門性の確立がいかにして可能となったのか、そして精神分析的であることの社会的意義をどのように捉えているのか、それがどの程度の広まりであるのか、ということに関心がありました。

これを理解するための前提に関する1つの大きな特徴は、こうした司法心理療法、ないしは司法精神医学は、NHSと呼ばれるイギリスの保健制度に組み込まれていること、言い換えれば基本的には精神医学的な問題として取り組まれるものが対象となっていることであるようです。主要な対象は、第一に精神病(精神分析的にはpsychoticと呼ばれる状態ですが、精神医学的には統合失調症になるのでしょう)、そしてこの10年くらいの間にパーソナリティ障害、特に反社会性パーソナリティ障害になるようです。逆に言えば、この診断に該当しない人たちはNHSの範囲には入らず、おそらく司法心理療法の視界にも入ってこないのですね(そのために窃盗についての精神分析的な文献が非常に少ないのでしょう、ということも今回推測できたことでした)。

おそらく、犯罪者を病者として考える一群の精神分析家たちがいて、そのような信念のもとで治療を行なっており、戦後NHSが始まった際にその一部として治療を提供することを模索し、それが今に至っても機能しており、その土壌の上で専門家のトレーニングを行なっている、ということのようです。他方、司法精神医学については、精神科医の中からその専門性とトレーニングを訴える人たちが現われたようで、これは精神分析家たちにとどまらない動きであったようです。今では司法精神科医という専門性が確立され、司法精神医学の提供がNHSの中で行われ、低・中・高水準の保安病院(secure hospital)、子どもと青年の精神保健制度(CAMHS)、回復のための制度が提供されています。

司法心理療法家たちが顧問精神科医としてコンサルテーションを行なっているのは、こうした施設で働く多職種チームに対してであり、とりわけ犯行の無意識的な動機の理解と治療状況における関係性の理解に精神分析的観点が活かされているようでした。当然、両者は直接的にリンクするというのが対象関係論的視点ですし、それがアセスメントと介入方針および治療効果の把握に活かされます。そうしたコンサルテーションに力を注ぐことで、司法心理療法、ないしは精神分析的理解の普及を図ってもいるようでした。

指導的な司法心理療法家たちはそうして外部の機関によく通うようです。犯罪そのものが個人と社会の接点で生じる病理であり、当然それに対応する臨床家も個人と社会の接点で仕事をするのでしょう。

けれども、特別な環境を除いて、病院全体として精神分析的な治療を提供しているところはなく、1人の精神科医として、1人の心理療法家として、司法心理療法を実践し、精神分析的アプローチを病棟で展開させている、というのがイギリスの実情のようです。それでは多くの病院が何かしらのオリエンテーションに基づいているかというとそうでもなく、実際のところ専門性の高い治療が行なわれていない、と司法心理療法家たちは考えているようですが、これにはもちろん注意が必要です。というのも、司法精神医学という専門性が確立されており、他方司法心理療法家たちは無意識的な動機が視野に入らないということそのものが専門性に欠けるという立場にあるためです。この言葉をそのまま受け取るわけにはいきませんが、それにしても犯罪の問題を理解し、理解を共有するということについて苦労するのは、どこの国でも変わらないのかも知れません。

いずれにしても個々の治療者が、個々の努力として実践を重ねているようでした。日本との違いは、専門的なトレーニングの有無であり、そのようなトレーニングの必要性に対する認識の有無、およびその専門性が医療制度に反映されるシステムの有無にあるのでしょうね。他方、このようなシステムが存在することは、犯罪の問題を医療化することを意味しています。それが適切であるかどうかはまた別に考えたいところです。

もっと整理したかたちの情報は、どこかでまとめて報告してみたいと思いますが、それがいつどのようなかたちになるかは今のところよく分かりません。ひとまず、備忘録に代えての簡易な報告でした。

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